大判例

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大阪高等裁判所 昭和40年(ネ)950号 判決 1967年7月25日

控訴人

木原覚

木原富子

右両名代理人

安藤真一

奥村孝

阿部清治

被控訴人

合資会社松田工業所

他一名

右両名代理人

難波貞夫

高谷一生

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

(控訴人らの求める裁判)

「原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。

原判決主文第一ないし第三項を次のとおり変更する。

被控訴人両名は、各自、控訴人木原覚に対し金八〇万四五〇一円、控訴人木原富子に対し金三九万円、および右各金員に対する昭和三八年九月一五日から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」

との判決。

(被控訴人らの求める裁判)

主文同旨の判決。

(当事者の主張ならびに証拠の関係)

以下補充する外は原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

控訴人において

一  (墓碑建立費用について)

控訴人覚の家庭は本件事故まで死亡者はなく且祖先を祭祀する立場になかつたので仏壇もなければ墓碑もなかつたが、亡尚子の死亡によつて初めて同女を葬祭する必要を生じた。仏壇を設けて家庭で祭るとともに墓碑を設けて納骨し併せてこれを祭祀するのは我国の当然の慣習である。勿論墓碑は控訴人ら一家のために建立するのであつても、亡尚子の死亡がなければ現在これを建立する何らの必要もなかつたものであるから、墓碑建立費用は亡尚子の死亡による相当損害に他ならない。(この関係において仏壇を肯定し墓碑を否定する合理的根拠はない。)

墓碑建立費用を相当損害として認めることは判例の存するところである(東京控訴院昭和八年五月二六日判決)これを認めないことは判例違反である。

その費用として支出した金二六万円は控訴人覚の社会的地位から見て相当の金額である。

交通事故における損害額の公平の負担という理念から見て、また国民感情、当事者双方の個人的事情から見て、自動車を運行して高度の収益をあげている被控訴人会社において一般に給与基準の低いといわれる公務員である控訴人覚が死者の冥福を祈る方法として支出した墓碑建立費用を負担するのが相当である。

二  (慰藉料について)<省略>

三  (過失相殺について)<省略>

立証として、<省略>

理由

一(被控訴人両名の関係・本件事故の発生・両名の責任)

この点に関する事実の確定ならびに法律判断は原判決理由一ならびに二に記載するところと同一に帰するからこれを引用する。(ただし、同理由二枚目表二行目時速約「三〇粁」とあるのを「三〇粁ないし三五粁」と、同七行目「車を中央に戻し」とあるのを「車を直進状態になおし」と訂正し、同三枚目表初行「そして、」から四行目「当然であるから」までを消除する。)

二(本件事故によつて控訴人らの被つた損害)

(一)(被害者木原尚子の得べかりし利益とその喪失による損害賠償請求権の相続) <証拠略>によつて認められる被害者尚子の家庭が父三七才巡査部長をつとめ月収約五万円程、母三六才、妹一才というものであつたことから見て尚子は少くとも新制高等学校を卒業して、一八才から就職し二六才にいたる八年間通常一般女子労働者としての収入月額一万〇、九八二円を得ることができたものであるこが統計上認められ、その間毎月五、〇〇〇円の生活費を要したものと認めるのが相当である。

そうすると、右八年(九六月)間の月々の純収入は五、九八二円となり尚子はその得べかりし利益を喪失したものであり、その利益現価をホフマン式計算法によつて算出すれば金四八万二、二一三円(円未満四捨五入)となる。

そうすると、控訴人両名は相続によつて尚子の右得べかりし利益の喪失による損害額四八万二、二一三円の二分の一金二四万一、一〇六円宛の損害賠償請求権を承継取得したことなる。

(二)(控訴人木原覚の支出した葬祭費用等について)

1(葬祭費用と仏壇購入費用について)

<証拠略>を総合すると、控訴人覚が尚子の葬儀費用として、広瀬葬儀店に支払つた五万〇、一九〇円(甲第一号証の一・二)、三越に支払つた一、四〇〇円(同第四号証)、一福に支払つた一、四四〇円(同第五号証)、さかえや衣料店に支払つた二、一〇〇円(同第六号証)と俗名木原尚子享年三歳と記載した買物帳記載の植村米穀店ほかに支払つた合計三、七七八円以上合計金六万六二〇八円を支出し、右葬儀に際し金一万〇、五五〇円を以て仏壇を購入したことを認めることができる。

控訴人らは、ほかに葬儀費用としてなお一万七、七四三円、以上合計金九万四、五〇一円、原判決別紙第一各項記載のような支出をしたと主張し、控訴本人木原覚の前記供述中大体一〇万円に近い金をつかつたとの供述があるが、一、〇〇〇円以下の買物でも商店の領収書を得られないではないこと、前記買物帳には六〇円、三五円、二〇円等微細な買物の記帳までしている事実と対比すると、いまだ右供述を以て前認定額のほかなお合計金一万七、七四三円の出費をもしたとの事実を認めるには困難を感ずるので、控訴人らのこの主張は採用し難い。

なお、控訴人ら主張のように右仏壇購入の費用を以て、尚子の死亡によつて控訴人木原覚の被つた損害となしうるかは疑の存するところである。

けだし、葬儀費用について見るに、もとより人は一回は死亡するのであり死亡すればその遺族は慣例にしたがつて葬儀をとり行いその費用を要するものであるとはいえ、事故死によつて慣例により遅滞なく葬儀を行うことを要し、もし右事故死がなかつたならば直ちに支出すること要しなかつた出費を余儀なくされるものであることからみて、事故による死亡者の葬儀費用を以て、なお、右事故によつて出費者の被つた損害というのが相当であるところ、葬儀においては、ついでに先祖代々諸精霊に供養することはあつても、主として専ら新死亡者のためにするものであるのに対し、仏壇は必しもその者のためにのみ購入所有されるものではなく、たとえ新しい喪主において買入れたものであつても将来その一家ないし子孫の全員の霊をもまつるためのものである意味をもつ点において、事故と相当因果関係に立つ損害ということを得ず葬儀と同一に見得ないものがあるからである。

すなわち、控訴人木原覚の支出したことの認められる上記金員のうち、葬儀費用六万六、二〇八円のみが尚子の死亡によつて同人の被つた損害というべきである。

2(墓碑建設費用について)

<証拠略>を総合すると、同控訴人が、本件事故による長女尚子の死亡を機会に神戸市垂水区舞子細道舞子墓園内に木原家の墓を建設しこれに二五万円余を費した事実を認めることができる。

しかしながら、右費用は、仏壇購入費用について説示したところと同様の理由を以て、これを尚子の死亡と相当因果関係に立つ損害とはなし得ないものと判断する。したがつて、控訴人らのこの点に関する主張も採用し得ない。

3 以上により、控訴人覚の本件事故によつて支出した費用中認容されるものは結局六万六、二〇八円である。

(三)(過失相殺について)

1(控訴人木原覚の過失)

この点の事実の確定ならびに法律判断は、原判決理由四枚目裏一〇行目から同五枚目裏五行目までに記載するところのとおりであるから、これを引用する。

2 民法第七二二条第二項は「被害者ニ過失アリタルトキハ裁判所ハ損害賠償ノ額ヲ定ムルニ付キ之ヲ斟酌スルコトヲ得」と規定するが、控訴人らの本件損害賠償請求中(イ)控訴人木原覚が同人の支出した葬祭等の費用の賠償を求める部分につき同人が同条所定の「被害者ニ過失アリタル」ものと解するのが相当である。また、(ロ)控訴人両名が、尚子の本件事故による死亡によつて尚子の両親として被つた精神的損害の賠償を求める請求において、控訴人覚が同条所定の「被害者ニ過失アリタルトキ」にあたるものと解するのが相当であるが、控訴人木原富子がこれにあたるかは必しも明らかではない。しかし、同控訴人は控訴人覚と二人の子供をもうけた夫婦であること弁論の全趣旨から明らかであり尚子の死亡につき控訴人覚にも過失があつたものといわざるを得ないこと上記のとおりであるから、控訴人富子も共同親権者として、控訴人覚とともに尚子の死亡につき過失のあつたことを免れないものというべく(最高裁昭和三四年一一月二六日判決集一三・一二・一五七三)、控訴人富子もこの関係において「被害者ニ過失アリタル」ものというべく、その過失相殺の割合は控訴人覚と同率と解するのが相当である。(ハ)最後に、尚子の得べかりし利益の喪失による損害賠償請求権を相続したことによる控訴人らの請求について、上記控訴人木原覚の過失を「被害者ニ過失アリタルトキ」にあたるものとして斟酌すべきかは疑の存するところであるが、過失相殺の制度が損害の分担の公平を期するにあることにかんがみ、監督義務者の過失の結果は加害者に負担せしめるよりも被害者に負担せしめるのが公平であることからみて、子の損害の賠償を子自身が請求する場合監督義務者の過失を被害者の過失として斟酌することについては問題がある(判例学説必しも一致しない)としても、少くとも子の損害の賠償請求権を相続したとして監督義務者自身がその損害賠償を請求する本件においては、ここに「被害者」というのは本件事故によつて死亡するにいたつた木原尚子のみでなくその監督義務者である控訴人両名もこれに包含するものと解するのが相当である。

3 ところで、控訴人らは、慰藉料には過失相殺の規定は適用すべきでないと主張し、この点は慰藉料の本質とも関連して問題の存するところである。けだし、慰藉料はこれを精神的「損害賠償」に他ならないものとするのが相当でありかく解する以上民法第七二二条第二項の適用があるものと解するのが相当であるが、他面慰藉料を以て「精神的」損害賠償であると解する以上その支払を命じる額の如何を算定するに当つては、物質的損害の場合と異り、被害者(被害者の親権者が原告となる場合にはこれをも含も以下同じ)および加害者の社会的地位・職業・資産・加害者の故意若くは過失の大小等「諸般の事情を斟酌」すべきである。

ところで、慰藉料の算定に際し、特に被害者の過失を考慮の外において、まず、これを算定した後、過失相殺として、被害者の過失を考慮するというのはいかにも技巧的に過ぎるのみならず、そもそも、「精神的」損害の賠償としてこのような考え方をとることには多大の疑がある。そうかといつて、被害者の過失を以て「諸般の事情」に含まれるものとし、一旦、これを考慮して慰藉料を算定した上、さらに、過失相殺として、重ねて、被害者の過失を考慮するということが不当であること多言を要しないところである。結局、被害者の過失は慰藉料算定につき斟酌すべき「諸般の事情」から、これを除外すべきではなく、その中に含まれる一事由に他ならないものとし、これをも考慮して慰藉料を算定すべく、かつ、これを以て足り、さらに重ねて「過失相殺」としてこれを考慮すべきではないと解するのが相当である。

(四)(控訴人両名の財産的損害賠償請求権)

上来判示するところにより、被害者たる控訴人両名の過失を考慮すると、その財産的損害の額につき上記のところから三割を減額するのが相当である。

そうすると、控訴人木原覚の請求しうべき財産的損害の額は上記金二四万一、一〇六円と金六万六、二〇八円の合計金三〇万七、三一四円から三割を減額した金二一万五、一一九円、控訴人木原富子のそれは上記金二四万一、一〇六円から三割を減額した金一六万八、七七四円となる。

(五)(控訴人両名の慰藉料請求権)

以上認定の本件事故の態様、加害者ならびに被害者の過失の大小、<証拠略>によつて認められる当事者双方の職業地位学歴その他一切の事情を考慮すると、控訴人両名が亡尚子の両親として尚子の本件事故による死亡によつて被つた精神的損害に対する慰藉料は各金二八万円宛を以て相当と認める。

三(自動車損害賠償責任保険の受領)

ところで、控訴人らは、各自金二五万円宛自動車損害賠償責任保険金を受領したことを自認し上記財産上の損害ならびに慰藉料を合計した、各自の請求金額よりこれを控除すると陳述し、この点は被控訴人らにおいて争わないところであるが、その割合については明らかでない。そうすると、上記各債務がいずれも弁済期にあり、債務者のため弁済の利益相同じものと認められる本件においては、各自右金二五万円宛を上記財産上の損害と慰藉料の各債務の額に応じて弁済されたものと解するのが相当である。

四(結論)

そうすると、控訴人木原覚は上記財産的損害賠償と慰藉料の合計額金四九万五、一一九円から金二五万円を控除した金二四万五、一一九円、控訴人木原富子は上記財産的損害賠償と慰藉料の合計額金四四万八、七七四円から金二五万円を控除した金一九万八、七七四円と右各金員に対する本件不法行為の日である昭和三八年九月一五日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、被控訴人両名が連帯して支払うことを請求しうるものといわねばならない。

控訴人両名の本訴請求中右金員の支払を求める部分は、理由があるからこれを認容すべくその余は失当であるからこれを棄却すべきであり、原判決は右と一致する限度において相当であるが右と異る限度で相当でない。

しかしながら、控訴人両名のみ控訴した本件においては原判決を控訴人らの不利益に変更することは許されないところである。しかして、本件控訴はもとより理由がない。

よつて、民事訴訟法第三八六条、第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。(宅間達彦 増田幸次郎 小林謙助)

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